第19回 イワタニ水素エネルギーフォーラム 東京 講演レポート
水素は、脱炭素とエネルギー安全保障の両面から重要性が指摘されてきた。一方で、足元ではコスト差、需要の立ち上がりの遅れ、国際制度の不確実性が重なり、事業化の難しさも改めて認識されている。第19回イワタニ水素エネルギーフォーラムでは、こうした状況を前提に、水素の社会実装を進めるための論点が政策、金融、研究、技術、自治体施策の各側面から示された。
本稿では、経済産業省、アドバンテッジパートナーズ、九州大学、三菱重工、東京都の5講演をもとに、水素の社会実装が現在どの段階にあるのかを整理する。そのうえで、制度設計、資金供給、技術成熟、需要創出がどのように接続されているのかを確認し、日本における水素事業の現状と課題を考える。個別講演の内容を追うだけでなく、講演間の接続関係に注目し、焦点は技術の可否ではなく、実装を成立させる制度と需要の設計に置く。あわせて、コストとインフラの制約も確認する。
市場形成を前提にした政策設計
フォーラムの冒頭で示されたのは、水素を取り巻く政策環境の現状認識だった。国が何を課題と捉え、どのような制度設計で市場形成を進めようとしているのかが、この講演の主題である。水素の社会実装を、単なる技術論ではなく、制度と市場の設計として捉える視点がまず示された。
経済産業省資源エネルギー庁の小林清文氏は、水素をめぐる事業環境を「まだら模様」と整理した。国際的には、規制導入の遅れや企業行動の慎重化がみられる一方で、欧州や中国では研究開発投資や設備投資を継続する動きも続いている。水素市場は一律に停滞しているのではなく、領域や地域ごとに進捗の差が広がる局面にあるという認識である。
そのうえで同氏が示したのは、水素市場は当面、自然には立ち上がらないという前提である。現状では、同等のエネルギー需要を化石燃料で賄う場合に比べ、水素は数倍から場合によっては二桁の価格差が生じる。技術やサプライチェーンの成熟にも時間を要する以上、コスト低減を待つだけでなく、需要創出と社会実装を並行して進める必要があるという説明だった。
こうした認識のもとで、日本では水素社会推進法を軸に、研究開発、設備投資支援、社会実装支援を一体で進める枠組みが整えられている。価格差支援、拠点整備支援、規制特例を組み合わせながら、サプライチェーン全体の立ち上がりを後押しする設計である。講演でも、15年間の価格差支援や拠点整備支援、脱炭素電源オークションの活用などが紹介された。

価格差支援と拠点整備支援の範囲(経済産業省 水素社会推進法資料より)
300件超の案件評価で有望案件は25%、水素投資は選別段階へ
もっとも、制度が整うだけで個別案件がそのまま事業化するわけではない。次に焦点となるのは、その市場を金融がどう評価し、どの案件に資金が向かうのかという点である。アドバンテッジパートナーズの講演は、水素事業を投資の側から見たときの成立条件を示すものだった。
アドバンテッジパートナーズの鈴木啓一氏は、JHFを日本初の水素特化型インフラファンドとして紹介した。ファンド規模は約5億米ドルで、投資対象は水素の「つくる・ためる・はこぶ・つかう」の全バリューチェーンに及ぶ。
対象地域も日本に限らず、北米、欧州、豪州、アジア、中東まで広がっている。
講演で繰り返し強調されたのは、水素事業の成否を分けるのは技術そのものよりも、オフテイクとバンカビリティだという点である。鈴木氏は「300件以上の案件を見ています」と述べ、そのうえで深掘りするのは約4分の1に限られると説明していた。重要なのは、買い手、費用構造、融資可能性という成立条件である。
投資済み案件についても、オフテイクで買い手がついていると述べている。例えば米国のSAF案件では、American Airlines等が長期契約を結び、約100MWの電解槽と年間約2.3万トンの生産能力を持つ第2号プラントが投資意思決定済みだと紹介した。長期契約の有無が案件の前進を左右している。
その一方で、鈴木氏は水素市場全体を悲観的には捉えていない。市場環境を「まだら模様」と表現したうえで、「世界は確実に進んでる」と述べた。講演では、世界全体で累計510件、投資コミット約1,100億米ドルという数字も示され、条件を満たした案件は着実に進んでいるという見方が示された。
水素社会は地域ごとの実装条件が問われている
では、そうした投資判断の前提となる需要は、どこで立ち上がるのか。九州大学の講演は、水素が必要とされる用途と、地域ごとに異なる実装条件を学術の立場から整理するものだった。水素社会を一つの完成形ではなく、複数の地域モデルとして捉える視点がここで提示された。
講演ではまず、製鉄、船舶、航空など、電化だけでは脱炭素が難しい領域が残る以上、水素やその派生分子が不可欠だという認識が示された。
そのうえで佐々木氏は、水素社会には一つの正解があるのではなく、地域ごとに異なるモデルがありうると述べた。九州モデルでは、原子力約4割、再エネ約2割で全体の約6割がCN電源となり、余剰電力を使った水素製造と産業利用の構想が語られた。
さらに講演では、大学の役割は技術開発だけにとどまらないことも強調された。九州大学では2005年から水素ステーションを運営し、2010年には「水素エネルギーシステム専攻」を設置している。長期の実証基盤と人材育成も、水素社会の前提条件だという整理である。
水素ガスタービンは既存インフラにどこまで導入できるか
地域ごとの需要構想が見えても、それを支える技術が実装段階に達していなければ社会実装は進まない。三菱重工の講演では、大規模発電分野における水素利用がどこまで現実的な選択肢になっているのかが示された。焦点は、技術の可能性そのものよりも、既存インフラの延長線上でどこまで導入できるかにあった。
三菱重工は、水素ガスタービンを新規設備ではなく、既存火力を脱炭素化する技術として位置づける。紹介されたJACクラスの大型コンバインドサイクルは、単機約574MW、CC約840MW、総合効率約64%に達し、受注累計は188台にのぼる。水素対応は、この既存技術の延長線上で進められていた。
実証の進捗も具体的だった。高砂では30%混焼の実フィールド運転を継続し、米国では50%混焼を達成。さらに小型機では100%水素燃焼の実証も始まっている。一方で、大型高温機では燃焼安定性やデュアルフューエル対応など、商品化に向けた課題が残るという説明だった。
講演で印象的だったのは、技術の成立だけでなく、事業として導入できるかまで視野に入れていた点である。圧縮機やタービンは活かしつつ、燃焼器と燃料系を改良することで投資負担を抑える考え方を示した。高砂では系統連系運転を通じて、金融機関などが評価できる実績も積み上げている。
東京都は作る・運ぶ・使うを一体で進めている
一方で、制度や技術が整っても、それだけで需要が立ち上がるわけではない。最後の東京都の講演では、水素の「作る・運ぶ・使う」を都市政策としてどう接続し、実装につなげていくかが示された。水素の社会実装が、制度や技術だけでなく、需要家と供給拠点を結びつける実務でもあることがここで見えてくる。
東京都産業労働局の服部勇貴氏は、水素政策を「作る・運ぶ・使う」の三つに整理して説明した。東京都では、2050年に多分野でグリーン水素を本格活用し、2030年を基盤整備と需要拡大の加速段階と位置づけている。令和7年度の水素関連予算は約200億円で、成長戦略の一部として扱われている点が特徴だ。
供給面では、都内で製造し都内で使う地産地消モデルの整備が進む。京浜島グリーン水素製造所は2023年10月に1基が稼働し、令和9年に3基体制、年間約60トンへ拡張予定である。さらに中央防波堤では、2MWの太陽光を用いて年間約40トンを製造する拠点を令和10年中の完成目標で整備している。
需要面では、モビリティを起点に市場形成を進める姿勢が明確だった。現在、都内ではFCバス150台超、FCトラック130台超、FCタクシー100台超が導入されており、2035年に計1万台、水素ステーション100基を目標に掲げる。服部氏が強調したのは、補助金だけでは普及は進まず、車両とステーションの「鶏と卵」を崩す実務が必要だという点だった。
水素社会の実現には、各プレイヤーの役割が相互に接続されることが欠かせない
5講演を通じて見えてくるのは、水素の論点がもはや技術単体の可否ではなく、社会実装の条件へ移っているということだ。経産省は制度設計による市場形成を示し、アドバンテッジパートナーズはオフテイクとバンカビリティを事業化の条件として示した。さらに九州大学は地域ごとの需要構想、三菱重工は既存インフラへの導入可能性、東京都は需要と供給を結ぶ実務をそれぞれ提示していた。
水素は「作れるか」ではなく「成立させられるか」が問われている。
必要なのは、政策、金融、技術、需要創出が個別に前進することではなく、それぞれが同時に噛み合うことである。今回のフォーラムが示したのは、水素社会の可能性そのものよりも、むしろそれを実装するために何が足りず、どこが動き始めているのかという現在地だった。
水素社会はなお発展途上にあり、水素価格や水素インフラの問題、水素バリューチェーンをどう形成していくかという点で決して簡単ではない。依然として、産官学が一体となって、国による支援の下でリスクオフしながら時間をかけて進めていく必要がある。
参考文献:
※ 1:第19回 イワタニ水素エネルギーフォーラム 東京「変化する事業環境と水素の社会実装に向けた挑戦」(リンク)
※ 2:水素社会推進法について (リンク)
※ 3:九州大学 水素エネルギーシステム専攻 (リンク)
※ 4:東京都労働産業局 水素・新エネルギーの利用拡大 (リンク)
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